カテゴリー「不思議ワールド」の14件の投稿

2009/10/08

永遠の贈り物

富士丸くんとアランくんのご冥福を心よりお祈りいたします。

きのう深夜になってから、いつも楽しみに読ませてもらってたブログ2件のワンが亡くなったことがわかり、あまりの突然さにショックで動揺してしまい涙がボロボロと止まらなくなった。

「富士丸な日々」の富士丸くんと「楽しい犬生活」のアランくん。どちらもずっと愛読してきただけに特別思い入れがあった。
特に富士丸くんについては生年月日が2002年の2月22日ということで、うちのこぶ坊は2002年の6月22日なので4ヶ月違い、名前にも「丸」がつくところが一緒で、何気に『富士丸くんとこぶは一緒に歳を重ねていくんだなぁ』という妙な安心感のようなものがあった。享年7歳。つい先日富士丸くんがとうちゃんの穴沢さんと梨もぎに行った日記を読んだばかり。梨好きな富士丸くんが梨はそっちのけで、リードフリーにしてもらってうれしそうに梨園を爆走する姿を、たくさんの写真を一枚一枚クリック、デカ版にしたのを眺めて富士丸くんのうれしさがこちらにもビシビシ伝わり私もうれしくて胸がいっぱいになった。それに今とうちゃんが富士丸くんと一緒に暮らすために山の家建設計画をたてていたのに…。色々なことが頭を巡り本当に犬に死なれるのはせつない、場合によっては人間に死なれるよりも数倍…と実感した。

偶然先日amazonからのお勧め本を読み終わったばかりだった。私もいつかは来るだろう別れの日に、これではあまりにも無防備でボロボロになってしまうのでは?という怖さがあるので、心の準備のひとつにと思って読んでみたけど、もしご存じない方がいらしたら、又、今愛犬を亡くしてつらい方がいらしたら、ちょっと落ち着いたら読んでみるといいかもしれないと思いご紹介する。

内容は「アニマル・コミュニケーション」の世界から発信されているもので、「旅立ってしまった動物に訊きたい5つのこと」「アニマル・コミュニケーションの世界」、最後には実際に死後の動物と交信した会話集などから構成されている。

細かい目次を見てみると「死ぬときに、苦しんだ?」「本当にして欲しかったことは、何?」「うちの子で幸せだった?」「今、どうしてる?」「また、会える?」など。

アニマル・コミュニケーションって言葉はずっと前に初めて耳にしたときは、動物のしつけに携わってる人のこと?と誤解していた。少しあとになってそうじゃないとわかっても、その時もなんだかわからずに『はぁーん、死んだあとの動物からのメッセージを届ける人?へぇー、まぁそれで飼い主の心が少しでも癒されればそれはそれでいいんでない?』と気休め程度のものとしか認識していなかった。

ところがある日、外国のアニマル・コミュニケーターの方が出ていたTV番組を観て今までの自分の認識はまるで間違ったものだったというのがわかった。あまり覚えてないのだけど、確かそのときは動物園のゾウとコンタクトしに来ていて、そのコミュニケーターには知り得ないことを、ゾウから聞いて把握していることを知り、『そうか、こういうのは実際にあるんだ!まやかしや気休めではなくて…!』と認識を大幅に改め、まさに目ウロコ状態になった。

この本はそんなコミュニケーターが実際に、動物が虹の橋を渡ったあとはどうしているのか、とか愛は永遠に続くから悲しまないでとか、短い生涯にはそれなりの計画がある、お母さんと暮らすために生まれ変わってきたんだよ、などのメッセージを犬たちからの通信などから教えてくれる。

この本を読むと、生と死はそんなにかけはなれたものではないと感じる。私たちは、実際は私たちが思っている以上に死と紙一重の場所で普段暮らしているんだなぁって思ったけど、個人的に一番びっくりしたのは生まれ変わりとソウルメイトのところ。

クライアント(依頼者)から新しく自分のところに来た動物が、過去に自分と一緒にいた子の生まれ変わりなのか確かめて欲しいという依頼がけっこう多く寄せられるそうなのだが、この著者がコミュニケーションを取りその新しく来たという動物に確認を取ると、やっぱりその依頼者の子供時代あるいはもっと最近、一緒にいた子だったというケースがほとんどだという。ただし、生まれ変わった動物は今生では違う種として生まれ変わっていることが多いそうだ。

これを読んだとき、『やっぱり!』と、日ごろ薄々考えていたことが、依頼はしてないけど確信のようなものに変わった。
それは、最近特にこぶの面影が、昔私が可愛がっていた「じろう」という猫にそっくりになってきて、たまにあまりに似ているのでジッと見つめているとまるでじろうが生き返ってきたような錯覚に陥ることがあるのだ。単に両方とも太り気味だからとかの問題ではなく、もっとキャラ的なものというか、魂の中核の部分が、というかその子その子の「印」のような部分が、だ。

ほかにも、安楽死の問題や、残された家族に対する配慮など、知りたかったことを実際に動物たちからメッセージで答えてもらえる。これは私の貴重な蔵書の一冊に加わった。もし興味のある方は是非読んでみて欲しい一冊だ。ちなみに私は、犬と一緒に入れるお墓も何気に探しているのだ…!将来ね…。まだまだだけどサ!

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2008/11/13

一生の波を表す宿命型

きょうはちょっとオタクな話ですので、興味のない方にはごめんなさいね。スルーしてくださいな。

3日ほど前に右足の小指を、書斎の出口に積んであった大量の雑誌の山の角にガーーンとぶつけてしまい、痛くて涙も出なかった。

以前にも同じ箇所をトイレの出口でけつまづき、この時は真っ青に腫れあがったので外科にいったらヒビが入っていた。

まぁ、ここらまではよくあることだけど、それにしても、どうも右手が利き手だから右足を怪我しやすいのかわからないけど、子供の頃から右足に怪我が集中する。へんだな、とは思っていた。

写真は去年の今頃のこぶさら003333

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2008/07/16

亡き後もその人らしく-不思議話(2)

先日UPした「葬儀の日の真実-不思議話(1)」の続編ですが、きょうは先日「オーラの泉」で江原さんが話していらしたことで、本当にそうだなぁと思ったことがあったので、ちょっとそれを書いてみます。

番組では、ゲストのお母様が(すでに他界)実にその人らしい方法でこの世で暮らしている娘に火事の危険を知らせてくれたということを話していました。
仏壇の花瓶が実に派手に割れてガラスの破片が床に飛び散り、それを拾うのに仕方なく腰を落としたところ、視線の先に床に倒れたままの電源ONのままのアイロンがあったということでした。
このまま気がつかなかったら危うく火事になっていたかもしれなかったですが、このゲストのお母様という方が、生前から大騒ぎタイプというか大声で慌てたりワサワサした方だったということで、江原さんは亡くなったあとも実にその人らしい現れ方をするものです、というようなことを確かおっしゃっていたのでした。

そういわれれば、12月に他界した私の父も、血液型はB型で、どんなキャラだったかといえば、ヨーロッパのぶどう農家のおじいさんのような(どういうたとえだ)頑固というか融通がきかないというか、父としては普通なつもりでもその挙動は日本国内ではしばしば限りなく浮くものでした。
母はA型で、始終まわりに迷惑をかけないように気を使う人です。(そのわりにはケロリンと気まぐれなところもあるのですが)

話の仕方でも、オチもなくおもしろくもない話を延々と続ける母に対して、私の父という人は、とにかく周りの皆をアッといわせるようなことが好きで、その為、話もいつも逆説話法というか奇をてらうというのでしょうか?よく英語の文法に出てくるような「...ほど...なことってあると思う?」など、話の頭で人を「えっ!」と注目させるようなことが好きで、あることないこと、講釈師顔負けのもっともらしさで語り、それで人が驚ろいたり喜んだりすれば、膝を叩かんばかりに喜ぶというか、とにかくあらゆる面で周りをヒヤヒヤさせる父だったのです。0180888

そんな父が亡くなった日の不思議については過去記事であげていますが、(日記ちょうど1000回目で)(私はその最期の日にお見舞いに行ってないのに、看護師さんが私が見舞いに来ていたのを確かに見たと母に言ったことなど)それよりも大変だったのは亡くなった時間でした。

そんなに早く最期の日が来るとは想像だにしていなかったので、私も家族も皆、普通のペースで生活していたのです。
私に連絡をよこしたのは弟でした。その時私は丁度お風呂からあがり、髪を乾かしてさぁ寝ようかという時だったのです。
後から聞いた話だと、病院の看護師さんがお風呂の時間帯のはるか前に、父が危険な状態になってから何度も第二緊急連絡先であるこのマンションに電話をしたらしいのに、その時は通じなかったというのです。
でも、その時間帯は弟からの知らせのほかは一切の電話は入ってこなかったし、外出もしていた時間ではないので通じないということもありえないことです。

ちなみにこの日は日中、母が父を病院に見舞っていて、まさかその晩に亡くなるとは夢にも思っていなかったので、母も病院から急な知らせを受けた時は、深夜病院に向かってダッシュしたそうです。まぁ、みーちゃんの場合は病院まで徒歩圏だったので良いのですが。

私の場合、終電もちょうど終わった時間帯、コンタクトレンズも勿論はずして消毒液に漬けてあります。あとはもう久しく昔に買った、間違っても車の運転などしてはいけないような度数の合わないメガネしかなく...。
知らせをうけて、それならばお通夜、葬式と最低3泊くらいは泊まりだろうかとその準備もし、まったく私らしくなく大慌てでテンパり、家を出る間際に、予定していた旅行の予約が頭をよぎり、ネットにキャンセルを入れ、見えないメガネで深夜の高速道路を死ぬ気で運転していきました。
その時、あぁまったく父らしい時間帯だ、「さぁ!どうする?どうする?」と父が言っているような気がしました。その上高速手前の信号待ちで、猛スピードで走る私の車に神奈川県警のバイクが寄ってきてコンコンと運転席の窓を叩かれ、お叱りを受けました。

よく聞く話はお葬式から火葬場に移動するバスなどの運行も、実に故人らしさが出るといいますね。
たとえば、生前からモタモタして動作がのろいような人は死しても尚、火葬場に行く車が何度も何度も信号にひっかかったり、逆に気の短い人だった場合、一回も信号に引っかからずに、それはもう爽快にサーーーーッと車が走ると聞いたことがあります。

一度、私とちゃんぴの共通の友人のお葬式に出た時、やはりスローモーな彼だったのですが、お寺さんから出発したマイクロバスの天井の部分に、あろうことか、お寺さんの境内の柿の木の枝が引っかかってしまい、運転再開までに大変だったことがありました。このケースなども、とっても彼らしいのです。まして彼の場合はこの世に愛しい子供をはじめとする家族や仕事の問題など色々抱えたままだったので、尚更まだこの世に未練があったに違いありません。

周囲をヒヤヒヤさせる父だったのですが、父の亡くなった日は12月の12日。生前から、いくつかの電話番号の候補から自宅の番号を選ぶ時など、「ゴロがいい」とか「覚えやすい」などにこだわっていた父なので、きっと命日も皆が覚えやすい日を選んだのかもしれません。イッチニイッチニ!なんて、すごく威勢が良い元気な父らしいです。
それに、ちゃんぴの誕生日の前日に亡くなったというのも、自分はあの世に行くけど、まるであの教会の結婚式のバージンロードのように、次の日に生まれてくるちゃんぴに「娘を頼む」と託したつもりなのかな、などと想像しては今だに涙腺の緩くなる私なのです。

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2008/05/18

一枚のメモ

私の部屋のパソコンデスクの上の方に、ちょっと物が置けるスペースがある。
一番聞く頻度の高いCDとか、今まで買った小さいおみやげ物、ポトスのミニミニ鉢なんかを置いてある。

今朝そこからCDを取ろうとして、一緒にメモ2、3枚に触ってしまいハラリハラリと床に落ちた。
一枚は、買い物をしなきゃいけないもので気づいたものを日ごろからパラパラと書き留めておいてるメモ。そして一枚は…。

そのメモに目が釘付けになり(早口言葉ではありません)、ちゃんぴに「こここここの紙紙紙…!」とすぐに見せに行った。
TVで放映されたから観た方もいると思うけど、ブラジルに住む予知夢をみるというジュセリーノさんの予言に興味を持って、彼の出している本の内容について検索した時に大きな出来事だけを書き留めておいたものだ。
何故ちゃんと読める正位置に上向きに落ちたか、なんてそれは知らない。

その2行目に2008年9月、中国で大地震と書いてある。ちゃんぴはいつも冷静なので、そのメモを見て「なんだよ。今5月なんだぜ?」なんて言ってたけど、4ヶ月ズレたとしても、中国での大地震を見事に予知している。
そのメモにはあと2行大変なことが書いてある。それは詳しいことは書かないほうがいいと思うけど、一つ目は国内の大地震だ。私も一回だけ行った国内の大都市。2009年1月29日。

それから二つ目は2010年に国内中心部で起きるテロについて。この二つ目の予言はジュセリーノさんではなく、マクモニーグルさんだ。

地震は早く知っておけば対策を立てることによって、犠牲者も減らすことができるのではないか。たとえば、弱った家は崩れないようにするとか、いつか建て替えようと思ってた人なんかは「そうか、それならもうちょっと早めよう」とかね。
寿命で天国に行くなら良いけど、地震で怖い思いをするのは、誰だって嫌だ。

もし地震になったらこのマンションは前の池に沈むんだろうな、ズボズボと嗚呼…。005555

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2007/10/11

時間の感覚

あるブログにコメントを入れさせてもらい、お返事をいただいた。

そのブロガーさんの書く文章が大変好き。
なぜかというと、考え方の基本が良く似ていることと、自分の書きたいことをスッキリと上手な日本語でうまく表せていて、これを書いている時間は本人もさぞ軽快な時間が流れているのだろうというのが容易に想像できて、しかも読んでいるこちらにも、言いたいことがよく伝わってくるから。
さらに、絵文字などを使うのではなく文章だけで「読ませる」というのかな、毎回『うーむ、そうだそうだ』と、妙な満足感が得られるので。

私の入れたコメントを要約、「私にはあなたほどの語彙力がない為に、言いたいことをうまく伝えられないことがあるのだ」に対してお返事は、「文章なんて書いているうちに洗練されてくるものだし、世間の言いなりになるのではなくて、日々思っていること、疑問や不満をとにかく書いていくことが大事。権力の横暴に対してだらだらと抵抗し続ける”意思ある市民”で居続けましょう!」ということだった。

そうだ!その通り!

この「だらだらと抵抗し続ける」というフレーズがまたまた気に入ってしまったけど、きょう私が書きたいことは、またうまく表現することができない。
それで、図に書いてみることにしたけど、こういう話って分からない人にはわからないと思う。
分からない人がこんな文を読んだらますますわからなくなるだろうけど、中には理屈ではなくてピンと来てくれる人もいるかもしれない。

それはね…。

一週間くらい前、なぜだか小さかった頃にうちに良く遊びに来てくれてた父の友人の原さんというおじさんのことが急に頭に浮かんできて、『そういえばお元気なのだろうか?こんどみいちゃん(私の母)に聞いてみよう』と思った日があった。

私が原のおじさんを思い出すなんてことは滅多にあることではなくて、本当にン十年ぶりくらいのことだったのだ。

そして4日前の朝、掃除機をかけていると、みいちゃんから電話があって、原さんが亡くなったと言うではないか。
癌だったらしいけど、その亡くなった日というのが、ちょうど、私の脳裏に原さんのことが浮かんできた日だったのだ。
原さんは私のこと(幼稚園くらいだった)をすごく可愛がってくれて私も大好きだったのだけど、何故か亡くなったと聞いても悲壮感に襲われるとか、ショックとかいうのではなく『ドア1枚分だけ向こうの世界に行っただけだ。ずっと会えないわけでもない』なんて考えが浮かんできた。

そして、原さんがお土産を持ってうちに来た時の様子を、タイムスリップでもしたかのようにありありと思い出して、こんなおばさんになってしまった私が、体だけを置き去りにしてあの時代に一瞬逆戻りしてしまった。

それで思ったのが、時間って自分ではずっと「過去」から連綿と続いて、「今現在」があってそして「未来」へって感覚でいたけど、案外過去も未来もなくて、「今」の連続なのでは?と…。
本当は永遠に「今」の積み重ね?

やっぱりこんな書き方ではわからないよね。うまく言い表せられないのが歯がゆい!

だから要は、001

ではなくて、002

この図を見て、ますます混乱した方、ごめんなさい…。

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2007/09/26

前世からのカルマ?!

猛暑はもう去ったようだ。
陽射しは強くても前のような嫌な湿度はない。 はぁ~、助かった。あの暑さがもう一ヶ月続くのですなんてこと言われたら、「もう降ります」なんて言いたくなるよ。もう永遠に来ないでほしい、あの暑さ。

そして、ようやくわかった。ちゃんぴがベランダの片付けにあまりにもシブシブで、病的なマイペースさを巡って3回も4回も大喧嘩になった訳が…。

先日ニフティのトップでもとりあげられていた「前世診断」にちょっと遊びに行ってみたら、ちゃんぴは前世「旅する者」で、今生に持ってきたカルマとして「無計画さ」と書いてある。

自由気ままで無計画なところは、同じく自由気ままな私から見てさえ、ちょっと危ないほどだ。
計画してベランダを片付けるなんて、苦手なのだろう。

ずっと以前にやっぱりネットでみつけ、あまりにもびっくりした前世占いでもちゃんぴは、楽器を持って旅を続ける「旅芸人」と出ていた。
そして前にも書いたけど、私は社会を鋭く批判する女流作家だったそうで、それぞれの旅の途中ですでに前世で出会っていたらしい。

今回の前世診断では、私は「治す者」だそうだ。人々の命を救い、心の傷を癒してゆく人らしい。いやいや、こっちが癒してほしいんだけど…。
前世から持ってきたカルマとしては「自虐性」。うーむ、そういうところはあるかも。

関係ないかもだけど、たまにワイドショーでとりあげられてる福田さんの「皮肉語録」を見るのがすごく楽しい。「自虐性」で福田さんを思い出すのもおもしろいんだけど…。
福田さんて立派に70歳以上だというのに、どこかが新しく、発言にいちいち無駄がなくシャープなところが気に入ってる。あの派閥人事はいただけないけど…。

きょうの写真は、青山紀伊国屋のアップルパイ001

*****

江原さんの新刊

ペットはあなたのスピリチュアル・パートナー

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2007/07/26

巨像恐怖症のこと少し

先日の奈良旅行記にちょっとだけ書いた「巨像恐怖症」について、ペンギン板にコメントをいただいたのですが、それがどのようなものなのか今日はちょっと説明しようと思います。

この恐怖症については、このブログでは以前に「鬼怒川旅行記」でも少し触れたことがあります。
その時は確か、ホテルの広い大浴場の中、入っているのは私一人だけでちょっとした像があって怖い思いをした…みたいなことを書いたと思います。
今回はこの記事を書くにあたって、ネット検索などもしてみたのですが、巨像が怖いという人は思いのほか多いのだということがわかりました。

人間の「怖い」という感覚には一口に言っても色々な種類のものがあって、例えば「犬が怖い」と聞くと、一般的には『小さい頃に追いかけられた、とか噛まれたとかでトラウマになってしまっているのかな?』と考えるのが普通だと思うのですが、そうではなくゴキブリを見た時のゾッとする気持ち、あんな怖さを犬に対して感じる人もいるのだそうです。
No dog no life の私にすれば、そんな人がいるなんてちょっと信じられない思いなのですが…。

巨像恐怖症の人がネットで相談をしているのに対して「大丈夫ですよ。しっかりした作りなので、倒れてきたり歩いて襲ってきたりしません」のような回答をしている人は、この恐怖感についての根本から理解が違うのです。そういう怖さではない。ないの!
どう怖いかって?それは巨像恐怖症の人は一発でわかると思いますが、そうでない人に話しても「えー、なんでー?」と全く理解できない様子…。小さい頃になにかあった、とかそういうものでもない。

そこに存在するそのものがもう怖くて仕方ないというか、パニックになるほどのことではないのですが、曰くいい難いいや~な感じが体全体に広がっていって…なんというか、うまく言葉で表すのは少し難しいです。自分なりにもちこたえている体内の秩序バランスが崩されていくような?うーむ、やっぱり書けない…。
そして、それが平気な人がいることのほうがむしろおかしいのでは?とすら思えてしまうほど、いつどんな精神状態の時に見てもそれはもう決定的な怖さとなって、かがみこんでしまいたくなる時もあります。
体調が悪い時だとたちまちお腹に来るような…。

そうでない人にいくら説明しても、少しむなしいものがあるのですが、それではこの像を見て想像してみて下さい。(巨像恐怖症へのお誘い) ← なんちって~。
夜がしらじらと明けかかっている早朝の時間帯、あたりには誰もいなくてこの像のすぐ下まで歩いて行けたら、私と友達になるには少し感性が違うかも…。
一番こわい、ロシアにある母なる祖国の像

下に豆粒のように見えるのが人間です。
私のバランス感覚ではこんなものは理解できません。存在そのものも怖いですが、おまけで言えば、これをどうやって作ったか、どうやってこの丘に運んで立てたか、それを想像するのも気分が良くありません。

人によっては鯉のぼりが怖いというケースもあります。でも私はなぜか鯉のぼりは全然平気。それより、無意味なほど大きな旗がバタバタと音をたてて風にはためいているのがちょっと辛いです。

大きな鉄塔が怖いので、仕事中なのにわざわざそこを通る時は迂回する、という人も…。

彫刻の森なんかは一人では歩けない。
とにかく、あのアンバランスなほどの不必要な大きさ…。お願いですからやめてくださいという感じです。
それからほかに対象物で意外と多いのがガスタンク、風車、大仏様(特に牛久の)、黒部ダムダムの水など。(編集時のリンク確認もつらい。冷や汗が出ます)
あなた、ダムの写真見ても平気?

それから私は結構、大船観音様に弱いです。きれいなお顔で慈悲深い表情なのも理解はできるのですが、あの大きさがもうダメです。
ホームに立っていても場所によっては上から覆いかぶさってくるように見えるので、絶対に後ろは振り返らないようにしています。

どうですか?リンク写真を見ているうちに私が何を言っているのか、気持ちが少しはわかるようになったかなぁ。
私はほかに広いガラーンとした屋外にポツンと遠くに建っている建物とかも苦手です。東北旅行で宮沢賢治の童話村へ行った時も、広場からエントランスへ向かって歩く時、いいしれぬ怖さを感じました。
どうしてこういうふうに思ってしまうのだろうと思っていたら、他の方のブログを読んでいたら、やっぱりその方も怖いと書いてあったっけ。

それから柱が一本もない広い部屋なのに、上の階に重いピアノやソファ、たんすやその他の家具が置いてあるという感覚もすごくいやです。床がものすごくいっぱいいっぱいの重さに耐えているような気がして…。
さらには、そんな重い荷物が一箇所の地面に負担をかけて頑張っている地面ってどうなんだろう…とか…。何十何階建ての高層マンションなんかの立っている地面ってどうなのだろう…なんて。

こんな感覚って、江原さんに聞いてみればちょっとなにか前世で訳があるのかも。前世で重い荷物を持つ仕事をしていて懲りているとか…。007777

はぁ~この日記を書くのも怖いです。写真にリンクして確認するのがちょっと苦痛なので、ここらでちょっとラムネでも飲んで休憩…。

こうなってみると思い出すことがあります。
高校時代、卓球部の夏季合宿の時の夕食にシラスときゅうりの酢の物が出た際、魚の目恐怖症である友達が「シラスが全員私を見ているようでとても食べられない」と言い、私が彼女の酢の物を全部食べてあげたことがあるのです。
あの当時は、○○ちゃんって少し変かもしれないなんて思ったけど、今思えば彼女なりに本当に怖かったのかも、なんて理解できるような気もします。

もうひと頑張り特別付録
ンドンにあるバタシー発電所ヨーロッパにある運河エレベータ

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2007/06/26

オーラソーマリーディング

きのうは夕食前に4人でお散歩に行きました。
蛍公園に着くと3~4人の人たちが何かを待っているようなかんじで池の方を見ながら立っています。
どうしたのかと思えば、この時期蛍が出るということで、私達も池の方を見渡すと、ちょうど良いタイミングで神秘的な光を放ってユラユラと舞う蛍を見ることができました。
6月の第二週くらいがちょうど蛍の見頃だ、とリュックを背負って双眼鏡を持った、愛好家みたいな人が話していました。

さて、いつもお世話になっていますmikiさんのブログにとても興味深いリーディングの記事がUPされていましたのでご紹介してみたいと思います。
お会いしたことはありませんが、いつもの日記から連想していたmikiさんのイメージにあまりにもピッタリと一致した結果が出ていたのに驚き、私も早速出かけてリーディングしてもらうことにしました。

オーラソーマリーディングのサイトです。

以下は、私が好きなボトルを気の向くまま選んだ結果です。

1本目…魂のボトル(あなたの本質を示します)

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自由、博愛、平等の精神でフランス革命に影響を与えたサンジェルマン伯爵をイメージしたこのボトルを選んだあなたは、創造的な知性を持った改革者。強烈な直観力と強力なサイキック能力を備えています。周囲にポジティブな影響を与える、触媒的な役目を果たせる人です。健全な思考の持ち主で、ユーモアに富んでいます。一人でいることも好きで自分だけの世界にいることで寛ぎます。また、新しい冒険を求め、旅に出ていくこともあります。

(私の感想…一人が好きで冒険を求め旅に出るって所、すごく当たってるなぁ)

2本目…チャレンジ&ギフトのボトル(過去と乗り越えるべき課題を示します)

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感情面での障害が見受けられます。自分の気持ちをうまく表現できずにいるようです。感情の障害が邪魔をして、理性的になれません。人見知りであがり症などの傾向が出る場合も。人との関わりを嫌い、自分の世界に閉じこもる可能性もあるでしょう。その内面には、男性的な側面への恐れがあり、権威的なものに対する必要以上の拒絶反応がありそう。父親との関係に問題があるか、何か抑圧的な状況に置かれているのかもしれません。

(感想…人見知りであがり症ってところを除けば私の輪郭をぴったり言い当てているな。権威への必要以上の反抗は私そのものかも!)

3本目…今ここボトル(現在の状態と気づきを示します)

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自分自身が癒されはじめるとき。大いなる変容が起き、過去の傷や痛みが取り払われていきます。あなたに起こるシンクロニシティー(偶然の一致)を信じましょう。これから起こる出来事は、あなたにとって必然であり、必要なメソッド。あなたは人を助けることで、自分も救われる経験をするでしょう。過去から自分を解放し、今このときを生きてください。目の前に起こる問題を受け入れ、真摯に取り組むとき、あなたに変容が起こるのです。

(感想…あぁ!確かに大いなる変容が起こりつつあるね~。ここのところ、過去のトラウマを冷静に分析できる自分がいます。いつの日か解脱できる自分はいるのでしょうかね。人を助けることで救われるっていうのは、いつもいつも私に言われること)

4本目…未来のボトル(現在の状態からどう変わっていくか未来の可能性を示します)

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自分の中に平和を見出したあなたは、周囲に安らぎを与えることができます。高い次元で心の交流が図れる人です。何ものにもとらわれず、自由な精神で神なる存在とアクセスすることができ、深い信仰心を養っていくでしょう。本当に表現したいことを、天も望んでいることを実感します。光明を得たあなたは、霊的に人を導く指導者。自分の内側にも、世界に向けても純粋に平和を希求し、またそのために建設的に行動していくでしょう。

(感想…あともうひとあがきして、15年くらいしたら平和な自分がいそう。何ものにもとらわれず、ってそれ、そうなれたら人間どんなに楽でしょうかね)

mikiさんのブログでは以前に「楽器占い」というのも紹介していました。
それはちょっと楽しい占いなのですが、試してみるとこれがまた当たっているのでなかなかおもしろいです。
あなたは何の楽器でしたか?私はトランペットでしたよ。

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2007/04/10

聞く勇気

029777_1 今話題沸騰の霊能者、木村藤子さんですが、色々な方がブログなどで取り上げ、実際に木村さんに診て頂いた体験談みたいなものもたくさん読むことができますね。

先日の『金スマ』で、飯島愛の引退にあたっても彼女の霊視で、引退は考え直した方がいいのでは?ということでしたが、木村さんが見えているままにそれをもっと詳しく告げたら、飯島愛には耐えられないだろう、というようなことをおっしゃっていました。

彼女は霊視というか、蛇の神様のお告げのままを相談者に告げるだけの役割ということですが、それだけにまったくそのままズバリを言われることもあり、青森まで相談に行った方も、終わってから呆然とされる方、顔面蒼白になられる方、と色々なようです。

ウゲッ!あまりこわいこと言うなよ!---by こぶ

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木村さんは今そうとうに忙しく、ご飯も食べないで遠方から来る相談者の方々のお相手をされているようで、一人3分くらいと、時間的にも短いようですが、もしズバッとシビアなことを言われた場合、自分にはそれを聞く勇気はあるのだろうか、と考えてしまいます。
木村藤子さんへのアクセス方法は色々なサイトをみているうちに嫌でもわかってしまいますが、この『勇気』を私はもちあわせてないような気がして…どうも…。

なんて歯切れの悪いところできょうはおしまいです。

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2007/04/05

満開の桜と不思議な予感

009777 どうやら風邪をひいてしまったらしい。

きのうは頭と喉が痛かった。
きょうは喉が痛く、咳も激しい。

けれども、散歩はさぼれないのだ!

U公園の桜はまさに今が見ごろだ。ブルーシートを広げたお年寄り達が楽しそうにみんなでお弁当を食べていた。

それで、「ホレ見てごらんよ、かわいい犬だよ」
まではいいとして、「赤ちゃんとお母さんだよ」には、どうする?こぶ丸、男として…。009

自宅マンションベランダよりの桜

おとといのことだった。
いつものようにスーパーへ買い物へ。買い物といったって、きょうはちゃんぴは飲み会で夕食はいらないのだから、自分用に何か出来合いのおいしそうなお寿司とかそんなものはないかなぁ、なんて何も考えずに歩いていた。
そこへ、『ただいまぁ!飲み会が急に中止になっちゃってさ。帰ってきたよ!』と言いながら玄関に立っているちゃんぴの姿が突然脳裏に浮かんできた。

そしてあまり意識せずにほとんど無意識に、売り場に並んでいた揚げたて2コ105円という特売のメンチカツをかごに入れた。

果たして、夕方。
こぶさらにごはんをあげて、自分も海鮮丼を食べようと食卓につくと、ガチャンと鍵を開ける、ありえない気配…。
驚いて玄関に出てみると、さっきスーパーで脳裏に浮かんだのと同じセリフをちゃんぴが発し、玄関に立っているではないか!
追加でそのあとに、「なんか食べるもんある?」と言ったのを除いては本当にそのままのセリフだった。

結婚して20年、今まで飲み会が急に中止になって帰宅したなんてことは決して、一度もなかったのに、これはどうしたのだろう…。
びっくりしながらも急いでご飯を準備し、メンチを買っておいて本当に助かったなぁ、なんて本当に不思議な思いをしたのだった。

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2006/10/13

前世は犬かと思ったのに

「こぶの佃煮」でググり、間違えて入って来てしまった方、それから「ハワイ、犬連れ、ホテル」でどういうわけか、ここに入ってきてしまった方、只今まったくお役にたてない状態です。どうもすみません。
ハワイで犬OKのホテルなんて、そういえばそんなガイドブックはないし、どうやって探せばいいのでしょう。
あぁ、ハワイにこぶさらと行けたらどんなに天国だろう!なんて考えてはいます。

夕べのフジTV、『アンビリバボー・奇跡”前世スペシャル!!”衝撃報告!!前世療法が解き明かす運命の絆!!』を固唾を呑んで見守った。
最初の、大洪水で人柱になったという話は、私の真偽判定センサーにひっかかってしまって、全部信じるにはちょっとどうなのか、と思ったけど、一番感動したのが前世で親子だった人がまるっきり別の環境にいたのに、再び空港で歩み寄ったところだった。

前世でなんらかの深い繋がりのあった人とは、今生でも親や配偶者、友達と、なんらかの関係でいることが多いということだった。

そして、人の前世は一度ではなく、何回も何人もの人生を今までに経験しているという。
私はあまりにも犬が好きなので、きっと犬か、野生のほかの動物の前世もあったのではないかと思っていたのに、きのうTVに出演していた催眠前世療法の女性の先生曰く、人はやっぱり前世でも人らしい。

前にも書いたかもしれないけど、以前、生年月日と名前でわかる前世占いというのをやったことがあるけど、その時は、私はやはり女性で、世の中を鋭く批判する女流作家だった、と出た。
ちゃんぴは楽器を弾いて旅する放浪のミュージシャンだったそうだ。
そして、前世で二人はそれぞれの旅の途中でめぐり合い、激しく愛し合ったが(大笑い)結ばれなかったそうだ。
大笑いしておいてなんだけど、ちゃんぴがギターや楽器が得意なのをこの占いの人は知らないのに、「楽器」という言葉がでてくるのは少しギョッとする。
それに、大学時代ちゃんぴは本当にロスやサンフランシスコなどを放浪していたので(お金がない時は新聞紙を体に巻きつけて寝ていたらしい)これは前世の名残ではなかろうか、とチラと考える。200610_014

昔ちゃんぴを初めて見たのは大学の研究室だったけど、何か初めて会ったような気がしなかった。
初対面の人に気疲れをするというようなこともまるでなかったし、昔から知ってるような、『あぁ、こんな所にいた』と思ったのも、今となっては変だな。

今までその関係の書籍でほぼ確信していたけど、きのうの番組で改めて思ったのは、物事はすべて必然だということ。
人と人は会うべくして会う。起きてくることも起こるべくして起こる。その人の人生に起こるべきことは、その人が生きている間に、一分一秒の狂いなく、すべて適当な時期にすべてが起きてくるということだ。
焦ったり気を揉んだりしても起きてこないことは起きてこないし、起こることは起こるのだね、きっと...。

そう考えると、将来ハワイで暮らしたいけど、ダメかもなんて落ち込む必要はないのかもしれない。ダメならダメだし、暮らすのなら暮らすようにいつの日か順番に流れがそうなっていくのだろう。
『落ち込む』なんて無意味なのだ。人のちっちゃい頭脳で大宇宙を(人生を)支配したり操作できるなんて考えるのはあまりにも傲慢というものなのだ。
努力したり願ったりっていうのは大切とは思う。

まったく関係のない画像だけど、イタリアントマトの『とろける牛乳プリン』を載せておきます。
冷え過ぎで決してとろけてはいなかったです。

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2006/02/08

誕生日診断と起きる気配なしのチワワ

2006 あまりにも気持ち良さそうに寝ていたので激写。最近飼い主に似てしまって太り気味のせいか、おい、口が開いてるよ、こうちゃん。

先日めぐさんから送ってもらった誕生日診断。おもしろかったので、きょうは内容を公開します。

先ずは私のから。
■ 長所 : リーダーシップがある、創造性に富む、進歩的である、力強い、競争力がある、自立心が強い、社交的である
■ 短所 : 尊大である、嫉妬深い、プライドが高すぎる、自己中心的である、不安定になりがちである、短気である

...と出ていました。長所はさておき、短所で一番当たっているのはなんといっても『短気である』です。でもこれは外部にわかる短気ではないのです。私に会った人は誰も私を短気とは感じないと思います。むしろヌボーッとしている人と思われるかも。
でも、私の中ではものすごく短気というか、粘るということをしない。とにかく、あきらめが早いです。直感で『あ、これはダメだ』と思ったらとにかく見限りが早い。子供の頃はむしろ『すぐにあきらめないで努力する』とか『粘ればいつかは成功する』という考えにあったように思うのですが、最近なるべくストレスフリーな生活を心がけているためか、いやなことや物に出会ったりすると、つきつめて考えないで、とにかくストレスの解消を優先してしまいます。いけないですね。いや、いけないでしょうか?それはわかりません。

そして、一つ一つ見ていくと確かに全く違うことも書いてあるのですが、(例えば嫉妬心が強い、とか)ここがこの占いの神秘的なところ。というのは、この私の結果はちょっとここでおいておきます。
そして次にちゃんぴーの結果に目を移してみるのです。

■ 長所 : 野心がある、想像力がある、自由を愛する、自己表現をする、進取の気性に富む
■ 短所 : 衝動的である、決断力がない、いばりちらす、情が欠けている、反抗的である

この結果をみると、これは明らかに私の結果ではないです。こちらも一個一個ケチをつけようと思えば、彼と違う点ももちろんあります。(例えば短所のいばりちらす)長所はむしろ私とだぶるかも。
でも、全体的な輪郭として前者は私の結果、そして後者は彼の結果と、私と彼両方を知っている人は言うと思います。

そこが、占いのおもしろいところなのです。生年月日だけで人の輪郭を言い当ててしまうというその不思議さ加減が。
私がいつも愛用している診断方法では月日だけでなく生まれた年まで必要ですが、結果を元に過去に遡ってみても、どの年にどんなことでダメージを受けているかがちゃんと浮き出てくるのです。もちろん、どんな良いことがあったかとかも...運命の人と出合った年、この年に付き合い始めた人とは必ず別れる...等です。
そしてその年の運気から、10年ごとの大体の運気の流れまで。
この診断法が怖いくらい当たるということは、私のことだけでも、もう何十年も検証済みなので、『昔の中国人は生年月日を簡単に人に教えることはなかった』というのも頷けますし、敵の生年月日を知り、一番運気の落ちた時を狙って一気に攻撃を仕掛けたという、昔の戦時のエピソードも素直に納得です。

ちなみに私はあと4年はダイエットをしても痩せない「鳳閣星」という星がまわってきているのです。アハハ、言い訳!でも本当。「鳳閣星」が出ていて9月10月11月生まれの人ならば、必ずやダイエットに苦しみます。
そして、4年後から10年間、人生で一番充実している時期に突入するそうですが、突入4年前にしては全然その気配なし...2006

でも、人の介護と恋愛は予告なく突然始まるように、本当に幸運が待っているのかなんて、所詮人には想像できないような仕組みになっているのかもしれません。

こぶとさらの診断も同封してくれました。

こぶは長期的視野に欠ける怠け者。
...ブハッ!
さらは、わがままで支配的だそうです。
これにはちゃんぴーと大笑いしてしまいました。なかなか輪郭が描けていると思うのです。
でも、こぶの適職は、深い洞察力と人を思いやる気持ちからカウンセリングや人を癒す仕事だそうです。
そうか、なるほど...毎日ありがとうございます。こぶ先生...思いやる気持ちもあると思うけど、母ちゃんは君のその寝顔だけで充分癒されてるかも。
そして、思ったこと。こぶとさらとまるっきり同じ生年月日の『人間』に会ってみたい...
やっぱり性格は似ているのだろうか?考えると楽しくてフフフと笑いがこみ上げてきます。

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2005/11/09

占い体験

確か、中学生くらいの時に食卓の上に置いてあった、母の買ってきた占いの本をきっかけに、随分と占いは独学した。
それまでは、たまに雑誌で見るくらいだったのが、「なぜ、生年月日だけで、会ったこともない人のことがわかるのだろう」と、その的中率に恐れおののいてしまったのだ。
自分の過去を遡ってみても、それが起こった年月、どんなことが起こるかまでピタリと言い当てていて、気味が悪いと同時にこんなに当たっているのならこれからのことも同じように当たるだろうか...とドンドンはまっていった。

新宿の母にも実際鑑定してもらったこともある。(あの、れいの銀行前の行列のですよ)

添乗員をしていた頃、友達が銀座によく当たる占い師さんがいるので観て貰いたいのだけど、どうも一人で行くのは勇気がいるのでついてきて欲しいというので、私達は有楽町のチャンスセンターの前で待ち合わせ、その占い師さんの所へ向かった。
その時彼女は実は不倫に悩んでいて、その彼との行方をみてもらいたいというのだった。
私はH子に「あまり、ヒントになるような語句をいっちゃだめだよ。表情もあまり変えずに言葉少なに振舞った方がいいよ」と、鑑定に出かけるときの一般的に言われている注意を教えてあげた。

にもかかわらず...
「あなたの彼はお寿司が好きですね。」と言われただけで、彼女はもう舞い上がってしまい、
「そっ!そーなんですーー!」とか、
「彼は身辺のことは非常にズボラですが。」と言われれば
「どうしてわかるんですかっ」と、傍で聞いている私は「バッ...」と舌打ちしたくなるようなペースで、「結局このまま続いてゆくのでしょう。」となんとも曖昧な答えだけをもらって退散した。

占い師は50代後半の女性だった。そのあとコーヒーとケーキで一息ついた時に、
「だめじゃーん、そうです、とか興奮したりしたらいけないって言ったのに...大体、日本人だったら多分お寿司が好きな人の方が多いわけだし...ズボラな男なんていっぱいいるし」と彼女に言うと、一息ついて冷静になったのか「そうだ、そうだね...」なんてションボリしてしまったので、それがおかしく、二人で顎がはずれるくらいにサテンの中で大笑いしてしまった。

その後何年か経って、今度はアンアンを見ていると良く当たる占い師の特集が組んであって、バーゲンセール期間でいつもよりお得なプライスでみてもらえるというので、さっそく一人で行ってきたことがある。
それはやはり50代後半と思しき女性の水晶玉をつかってみる人。
なぜか、その日は出かけようと思うと靴がなかなかみつからなかったり、したくが思うようにすすまない。挙句の果てには乗っていた電車が人身事故を起こしかなりの時間止まってしまった。
予約の時間に遅れるので電話を入れ、その駅からタクシーで行ったのを覚えている。
そして、その水晶玉占いの部屋に入るや否や、こう言われてしまった。
「あなたは、わざわざお金を払ってここに来なくても、精神を集中させればわかるはずですよ。自分でもそれはわかっておいででしょう?」

前にも似たようなことを言われたことがあったので、「あぁ、またか」と思ったけど、やっぱりそうなのかな。でも自分ではあまりわからない。母には霊感があるみたいだけど...__2005

ただ、これからこうなっていくだろう...と漠然としたことはよくその通りになる、ということはある。ただこれも「こうなっていくだろう」と思うこと自体が自分を暗示にかけていて、結果的に潜在意識の中に組み込まれてその通りになるのか、とか考える時もある。
でもやっぱり、人間はこれから起きることなんて知らなくていいこともあるな。
犬と散歩しながら毎日を朴訥と暮らしていこう。ポカポカと暖かい昼下がり、こぶとさらは珍しく仲良くお昼ねをしていました。
さらも腹天だったので、これはいいのが撮れると思って戻ってみると、さらが起きてしまった...

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2005/07/17

森の中の不思議な光

生まれてから幼稚園時代は二子玉川園というところに暮らしていました。
その幼少時代ですが、私は女の子であるにもかかわらず、家遊びより外遊びが好きで、幼稚園から帰ると、好きなTV番組がはじまる時間に母親がむかえにくるまで、ほとんどの時間を近所の友達と外で遊んでいました。
それも、ほとんどが男の子の友だち。
恥ずかしながら私は番長のようにその男の子達を自分の子分のようにして引き連れていました。

今でこそ「ニコタマ」という呼ばれ方で若い人たちでにぎわっている二子玉川ですが、その頃は当然「玉川高島屋」なんてものもなかったですし、マクドナルドもなかったですから本当に緑が豊かなところだったんですね。
川にはじゅずだまというのが群生していて、それを糸でつなげてネックレスを作ってもらいました。その香りは今でも鮮明に記憶しています。
アマガエルや、カタツムリもたくさんいましたし、ノビルなんていうものも沢山生えていましたし、ヨモギを摘み、母がそれで草団子なんかもよく作ってくれました。

そんな自然に恵まれた中で生活をしていましたが、夕方になると私達は決まって、ある森の方角へ向かって歩き出すんです。誰が言いだしたかそれはちょっと記憶にないのですが、自分達の遊んでいる所から10分かそこらあたり歩くと深い森が見えてきて、その森の茂みの中から不思議な光が不定期にポーッ、ボーッと見えてくるのです。2004

その光に誰がいつ気付き、なぜ見に行くのが習慣となったのかはまったく記憶にないですが、とにかく、お砂場で遊んでいても川原で遊んでいてもそのあたりの時間になると、皆当然のことのようにその光を眺めに行っていたのだけは覚えています。

その光のというのは、人為的な電気とか、そういった種類のものではなく、なんともあやしげな光なのですが、私達は子供なりの受け止め方で「そういうものも当然あるのだ」という感じで毎日それをみていました。そんなに近寄って見ていたのではありません。

その後大人になってから何回か引っ越しましたが、結婚してからこの土地にいますが、ここはUFO多発地帯ということです。そんなこととはつゆ知らず、前、近所の友達に「こないだ、飛行機ではないオレンジ色みたいな光が空を飛んでいたよ。飛んでいたっていうより、点移動って言ったほうが正しいかなぁ。ピッピッって、すごい速さで考えられないほどの距離を移動してた」と言ったら、このへんではよく見ることなのだ、ということを教わり、へーとびっくりしました。その人は生まれた時からこの土地に住んでいる人です。

ちゃんぴー(夫)などは、小さい時からこの付近に暮らしていますが、小学生の時、塾の帰りに月から何か大きな石が降ってきて、あやうく激突しそうになったそうです。それは次の日の新聞に載ったそうです。

もっと色々な話はありますが、きょうはこのくらいに。

写真は不思議な森とは関係ありません。クリスマス前の山中湖ペンションアルバートハウス。
煙突にサンタさんが登っていくところです。私達の訪れる数日前に風でサンタさんが飛ばされて、ご主人がディスプレーし直したとおっしゃっていました。

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